実車について:
第2次世界大戦後の1950年、ドイツ・メーカーはようやくFIMより、インターナショナルレースに復帰を許されます。
翌51年、BMWは戦前マン島TTや欧州選手権で抜群の成績を誇っていた
KOMPRESSORから(過給器が禁止になったため)、スーパー・チャージャーを外したマシン「タイプ251」で出場を果たしますが、
格段の進歩を遂げていたライバル達に大敗を喫してしまいます。
BMW社はこの経験を基に
新型エンジンの開発に本格的に取り組み、1954年シーズンに向けて53年10月完成、市販されたのが、
このRS54 レンシュポルトです。
市販総数は僅か25台とも言われています。
DOHC2気筒のすっきりしたエンジンの基本設計はアルフレッド・ポーニング。
マグネシューム合金をふんだんに使って重量軽減を図かり、単気筒車と変わらない132kgに仕上がっています。
車体はノートン・マンクスで有名なダブル・クレードルにリア・スイングアームという最新のフレームを採用。
フロントには(一部のテレスコピック型を除き)アールズ・フォークが使われています。
全体的にBMW社の総力を挙げたクオリティーとコストを注入したレーサーです。
しかし、そのレース成績は決して芳しいものではなく
個人タイトルでは54年当初から乗っていたヴァルター・ツェラーが56年の年間ランキングで2位を獲得
メーカータイトルは58年、59年の3位というのがBMWとしての最高位でした。
それは縦置きクランクのトルク・リアクションやシャフト・ドライブ、アールズ・フォークの癖や操縦安定性の悪さからくるもので、
RSを速く走らせられるのは「天才か気違いかドイツ人だけ」と囁かれていたそうです。
58年に引退したWツェラーの後を託された世界GP王者の一人G.デュークは
この操安性の悪さを嫌い、シーズン半ばで市販マンクス・レーサーに乗り換えてしまうほどでした。
しかし、この期待を裏切ったソロ・レーサーの不甲斐ない結果に比べ、サイドカー・レースではそれこそ連戦連勝、
54年の初勝利から74年まで19回年間タイトルの栄冠を獲得しました。
今回作成したものの実車モデルは特にありません。
オリジナル仕様を目指していたものの様々な資料が集まる割にこれがオリジナルと特定できず、
フルーツポンチ(寄せ集め)状態です。ゼッケン4も特に意味はありません。


製作にあたって:
20数年前のプロターキットをやっと作りました。
エンジンフィンを自作する程度でなんとかなるかと思っていましたがどうしてどうして。
結構様々なところに手を入れることになりました。
その過程は製作記を見ていただくとして、出来上がってみるとプロポーションが実に悪い。
背が高く前後に寸詰まりの感じです。
実車図面を照らし合わせたはずなんですが、スイングアームの寸法がちょっと短いとか、タンクの背が少し高いとか
フレーム修正で失敗したとか、少しずつの狂いがこうなってしまうという悪い例になりました。

しかし今回はコスモズファクトリーのパーツ・・・リムやメーター、GASキャップを使用したり、
手巻のマフラーにトライするとか、旋盤でファンネルを挽くとか、楽しい製作技法に挑戦できましたので、
まあ失敗は成功の元として、次回作を頑張ることにしましょう。

BMW RS in Progress
キットについて:
プロターの初期のキットです。
これは初期型でなく70年、71年にHOブーテヌートが乗った 
チェリアーニ・フォーク、ハーフカウル付きの実車を 
モデル化したものと思われます。

プロターに関しては何度も言いますが偉大なる素材です。
手を入れずそのまま作れば大して難しくなく作れて、簡単に雰囲気は味わえます。
しかし手を入れれば入れるほど 
自分の作品としてのオリジナリティーが出て、それはそれでまた楽しい。
これでなければいけないという決まりもありませんし 
誰が作っても同じにもなりません。
「模型作り」を楽しもうというファンには堪らなく味わい深いキットです。


ディティールUPパーツについて: 
バイクキットに限らずタミヤなどメジャーなキットには 
ディティールUPに役立つアフターマーケットパーツが他社から発売されています。
プロターJAPANからも過去アルミHリムや組立式チェーンなどが 
発売されていましたが既に中断しています。
今回私が使用したのは 
私のHPでもリンクしているコスモス・ファクトリーのメタル製品。
これはとても素晴らしい。雰囲気が一変します。

PROTARファン必見のパーツです。
1/9 Racing Equipment COSMO'S FACTORY 
GRAN PRIX RACER Mod:124
SIDE CAR RACER Mod:118
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