ホンダドリームCB72は1960年発表、翌61年春に市販された 250ccとしては当時最速の24hp、155kmを誇るスーパースポーツです。 高速型の180度クランクのタイプI(輸出向け)と360度クランクのタイプII型がありました。 「トップ(ギア)で70キロ以下は走れません」 などという過激な広告コピーで 当時の若者(かくいう私もそうでした)の人気を、ヤマハのYDS-1と2分しました。 とはいえ価格18万7千円は大学出初任給の1年分にも匹敵し、誰にでも買えるバイクではありませんでした。 プレス・フレームで神社仏閣型といわれたそれまでのドリーム(250cc)とは全く異なる 軽快なパイプのダイヤモンド型パイプフレームは当時のレーサー(特に浅間を走ったC70Z)からのフィード・バック。 テレスコピック・オレオもRCレーサー仕様に準じて採用されたようです。 それに対しエンジンはそれまでの57年発表のC70から高回転、高出力型への発展で むしろ実用車エンジンの改良版です。 特筆すべきなのは、前年発表されたベンリー(125cc)CB92同様 セル・スターター・モーターを持っていたことです。 今では当たり前のセルですが当時は珍しく、ましてやスポーツ車に採用された例は殆どありませんでした。 始動が容易で、誰でも手軽にスポーツ走行を楽しめることも このCB72をベストセラー、ロングセラーにした大きな理由の一つでしょう。 レベルのこのキットは輸出車のCB77(後のCP77)305ccをモデル化したものだという話しもありますが 外観は全く変わりませんので、国内初期型(と中期のミックス?)のCB72として作りました。 当時は法規制前で、まだウインカーも不要 バックミラーも片側でよい(ヘルメット着用も不要)という時代でした。 |
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昔のバイクは種々の金属が剥き出しに見え それが光り輝いたり、鈍い重量感を見せたり、また汚れてくすんだり錆びたりして様々な陰影を作りだしています。 ところがプラモデルではこの様々な金属を 僅かにプラ・メッキと銀モールド、または銀塗装の2、3種で表現しようとしますから 当然実車のような陰影は表現しにくく、玩具っぽく見えてしまいます。 私の汚しや錆は、こういった実車の重みや陰影を少しでも「それらしく」表現しようとする苦肉の策なのです。 (勿論こんな汚い仕上げが好きだ、というのが大きな理由ではありますが (笑)) また、スケールによる再現性も問題です。 岡部氏が田宮模型でCB750を設計された時、1/6でスポークの太さは0.8mmという プラ・インジェクションの限界に挑んだと書かれていました。 0.8mmのスポークは1/9では実車換算で7.2mm、1/12ではなんと9.6mmと1センチ近い太さになってしまいます。 これでは「らしく」見えない。 エンジン・フィンの厚みも同様の悩みがあります。 彫りの浅いのはやむを得ないとしても、実車のフィン枚数が激減するのも困ったものです。 今回のCB72では実車のフィン枚数が29枚に対し、このレベル1/8では22枚、グンゼの1/12では19枚しかありません。 これも「らしく」見えない理由でしょう。 昔のバイクの模型をそれらしく見せるためには、多少の工夫や工作が必要なんでしょう。 |
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キットについて: キットは何度も取り上げているレベルUSAの1/8です。 初出年度はわかりませんが、恐らく1960年代後半だろうと思います。 キットのベースになったのは、65年のCB72(250cc)であるという説と CB77(305cc・・・後のCP77)だという説の2通りがあります。 後者はこのUS版パッケージに「SUPER HAWK」と書かれていることが根拠です。 アメリカでこのCBシリーズはHAWKと呼ばれていましたが、250は単なるホーク、 305ccがスーパーホークだったからです。 後にグンゼ産業がレベル社とライセンスを締結し 1970年代には日本でもこのバイク・シリーズの殆どが販売されます。 そしてホンダCB72のパッケージは「SUPER SPORTS」と変わりました。 この「SUPER HAWK」から「SUPER SPORTS」への変化は日本だけなのか 本国もある時期から変わったのかはっきりしません。 まあ外見的には250も305ccも全く同じですから あまり意味のない論争?ですがね。 キット内容に関してはタイガー100の時も言いましたが 30年以上前のキットとは思えない 素晴らしいキットです。 このホンダもタイガー100同様再販されるかも知れませんね。 Kim's House Garage Owner |
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ヴァン・ヂャケットのCB72 その昔、青山にあったVANという会社に在籍しておりました。 私が入社した1967(昭和42)年には VWのデリバリーバンや、タイプIIのワゴンが社用車として存在しており バイクは影も形もありませんでした。 しかし(元副社長の)石津祥介さんにお聞きしたところでは、 昔このCBも、それ以前にはトーハツも荷物運搬に使っていたことがあるという話しで驚きました。 トーハツは多分1950年代後半発売の125ccのPKシリーズだろうと思います。 まあそんなことを聴きましたら、このCB72モデルにも当時のVANのスティッカーを貼って見たくなり 縮小ディカールを作ってみました。 丸形のものは今でもよく見られる有名なもので、私の入社時には既にありました。 J字は当時流行った車の国籍標識を模したもので、JはJAPANの頭文字です。 私もVANに入って最初の車 VOLVO P444に貼ったものですが、今は全く見かけることができず 文献にもありません。 今回はおぼろげな記憶を頼りに描き起こしました。 向い獅子の紋章は、夭折された先輩の野原三輝さんが作画したもので 「 内緒で俺のサインを入れたぜ 」と笑っておられたのを思い出します。 鉄仮面の下に,確かに「三キ」と入っています。 当時、VANのCBがどんなスティッカーを貼っていたかは分かりませんが、この3枚のスティッカーで 60年代のVANの雰囲気を感じ取って戴けたら幸せです。 |
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石津祥介さんが会長を務めるボタンダウン・クラブの会報誌に私が記事を書いたことがきっかけで、 2007年12月に石津さんにこのレベル1/8 HONDA ドリーム CB72を贈呈しました。 その経緯は交遊碌その2をご覧ください。 |
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