H-D XR750 ダートトラック・レーサー1972年
実車について:
WR、KRと発展してきたハーレーダビッドソンのダートトラック・レーサーは、
1970年AMAクラシックCレーシングのルール改定によって、
スポーツスターXLCHをベースとした新しいXR750(アイアンXR)モデルへと発展します。
しかしこの鋳鉄ヘッドは熱ダレで使い物にならず、
1972年にはより強力で、より信頼できるアルミニウム合金ヘッドのXR-750が新しくデビューします。
それが今回モデルとしたXR750 45Cu(750cc)です。

ダートトラックはアメリカでもっともポピュラーでエキサイティングな2輪レースで
平らにならした土のオーバル(楕円)トラックを左回りに走って一番早い奴が勝ちという単純明快なレース。
そのために削ぎ落とされたシンプルなレーシング・フォルムを持っていますが
ステップの位置が左右で違うことや右チェンジ・右ブレーキなど
日本のオートレース競技車とも共通する、一種の奇形レーサーといえます。
また2気筒とも前方排気・後方吸気を採用しているため
一般のスポーツスターなどとは大きく異なる外見上の特徴を持っています。

このXRは、登場した1972年から30年間もAMCダートトラック・レースにおいて最も優勢なバイクとなり
J.springsteenやScott Parkerらダートトラック界の英雄を生み出しました。

ゼッケンNO.1は前年のGNCチャンピオン・ナンバーです。
今回の#1はAMF時代を代表するシンボル・マークで実際にレースで使われたものかどうかは分かりません。
(資料写真はDoug Mitchel著のHarley-Davidson CHRONICLES 248-249頁)
今のHD社はAMFを嫌ってか意識的に使用していないようですが、私は好きなので敢えて使用しました。


XR750のスクラッチについて:
正直くたびれ果てたというのが率直な感想です。
資料写真で大半は分かったようでも、見て理解することと部品を作ることとは大違い。
キットのディティールアップは少なくともベースになるパーツがあるので寸法の当りぐらいは計れるがそれもない。
細かい部分を観察するとまた部品が必要になる、など終盤まで迷いつつ
結局最後はエイヤッで諦めて終了というのが正直な話。
キット・メーカーは偉い。原型師は素晴らしい、と再確認したスクラッチではありました。
XR750は小出師匠の元に通っているころから作りたいなと憧れたバイク。
当時は勿論、今ですらキットもなく完成品すら見たことがない。
数年前プロターの883を手に入れたころから
これを使ったらひょっとするとXRの偽物ぐらい出来るかもしれんと思い始めたのが製作のきっかけ。
ところがこれが殆ど使えませんでした。
使ったのはクランク&ギア一体のケーシングだけ。
Mad SUGITA氏に倣ってエンジン・フィン自作を何作かトライしていたのであのエンジンは作れるだろう。
COSMOS FACTORYの千田氏が1/9用パーツを供給してくれているので、かなりの部分は使えるぞ。
ZIPP齋藤氏がメタル・キャストしてくれるので頼んでしまおう。
とスクラッチといいながら、結局は友達のヘルプでやっとここまで来た感じ。
出来上がりを根気よく励ましてくれた福岡の柴田先輩を始めとする多くの友人達のお蔭でもあります。
持つべきものは友達です。ここで友人各位に改めて御礼申し上げます。

XR750といいながらそうなっていない部分がある。それはタイヤ。
AMAグランドナショナルではグッドイヤーがダート専用タイヤを供給しているんですが
残念ながら今回はプロターの他キットからコンバートしたAVON、しかもプロビーニさんのサイン入り(笑)。
パターンも違うがこれはどうしようもない。
他の部分も怪しげなところがありますが、今の私の能力ではここまでが精いっぱいです。
もう当分スクラッチなんぞやらないぞ。

HDXR750 in Progress
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