750S イモラ・レーサー1972
ここに一枚の写真があります。
1972年のイモラ200マイル・レースで1・2フィニッシュを飾ったドゥカティのスペシャル750S。
これはその1位になったポール・スマートの車体です。
しかしどうしたことでしょう。ひどく錆び薄汚れたまるで私の作品のような状態。
博物館で磨き上げられたオーバーレストア気味の写真しか見たことがなかった私の目には、
まるでこの状態で作ってくれと言っているように見えました。
P.スマートは確かに1位だったんですが、2位になったとはいえスクーデリア・ドゥカティを率いて
強豪MVやホンダCBと闘った名手ブルーノ・スパッジアーリの功績は遥かに大きい。
ここは一つゼッケン9番を作ろうと思い、いろいろ資料を当たりなんとかここまで漕ぎ着けました。
プロターのキットは72年の750Sでまさにイモラ・レーサーベースとしては最適です。
ZIPP齋藤氏にメイン・パーツをキャストしてもらったことで、よく目立つクランクケース・カバーやマルゾッキのフォークが
一段と引き絞まりました。
最大の困難はスカラブ製のトリプル・ディスクを組み込むこと。
そして例の24リットル入りのイモラ・タンク作りとその銀ラメ塗装でした。
その内、時間が出来ましたら製作記をアップしますので、その中で詳細をお目にかけたいと思います。
プロヴィーニさんの追悼展によせて:
2005年1月6日に亡くなられた火の玉レーサーT.プロヴィーニさんの一周忌に向かって
何か作品展でもやろうと盛り上がったのはその年の夏ごろだったでしょうか。
確か福岡から柴田大兄が上京されたその歓迎の席だったと思います。
その後、不老隊青年部の鈴木省吾さんが事務局長となってサイトを立ち上げてくれ、
プロターJAPAN岡部さん始め、周囲の皆さんの暖かいサポートによって
まずまずの成功に終わったのは、皆さまご承知の如く。
このドゥカティは実はその追悼展に出品すべき作品であったのです。嗚呼。
皆さんから参加を募るだけでなく、主催者側も参加作品を作ろうという話は当然の如く決まっていたのですが
生来の怠け者に加え、作る作品が決まらないわ、決まったけれど進まないわで
なんと今日この日まで、もたもたグズグズとやっておりました。
しかも、カウリングまでは全く出来る気配もありませんので
一応これで完成ということにした次第。
故プロヴィーニさん始め、関係各位の皆々様には深く深くお詫び申し上げます。
でも静岡の作品展示会には何とか飾って貰えましたので、まあ良しとしてください。
キットについて:
このNO.156 ドゥカティ750スポーツは、プロターの油の乗った時期の
作品でエンジン・フィンやタンクの妙な形状を除けばよく出来たキットです。
内容も1973年にジウジアーロが手を入れる前のドゥカらしいドゥカで
他にキット化されていない貴重で素晴らしいものです。
(個人的な感想ですがジウジアーロの2輪デザインは最悪だと思います)
昔はオークションでよく見かけたものですが最近は殆ど見られませんので
もし見かけたら絶対手に入れておくべきキットでしょう。
こんなキットこそイタレリで再販して欲しいと思うのですが
どうも難しいようですね。